『ヤング・アダルト・ニューヨーク』のあらすじ・感想・ネタバレ~自由気ままな人生を送っていた中年夫婦が直面するさまざまな危機とは…~ | VODの殿堂

映画

『ヤング・アダルト・ニューヨーク』のあらすじ・感想・ネタバレ~自由気ままな人生を送っていた中年夫婦が直面するさまざまな危機とは…~

   
 

タイトル:ヤング・アダルト・ニューヨーク
公開:2014年
監督:ノア・バームバック
出演:ベン・スティラー、ナオミ・ワッツ、アダム・ドライバー、アマンダ・セイフライド、チャールズ・グローディン、アダム・ホロヴィッツほか
閲覧したVOD:Amazonプライム・ビデオ(2018年8月27日時点では視聴可)

『フランシス・ハ』で絶賛されたノア・バームバック監督が、ベン・スティラー、ナオミ・ワッツ、アダム・ドライバーにアマンダ・セイフライドといった豪華キャストで描く、ニューヨークのブルックリンが舞台の群像劇。
一回り以上年齢のはなれた世代の違う2組のカップルが、ジェネレーションギャップに戸惑いを感じながらも、だんだんと交流を深めていき、様々な変化と事件に直面する様を描いた作品です。
はじめは、40代の自由気ままな夫婦が、自身の夢を実現させたいと思っているにも関わらず、ガツガツしていない20代の自由奔放な夫妻と関わることによって、影響を受けていくのですが…。
どちらの夫妻も自由奔放なんだけれど、世代の違いからその「自由度」には全く違いがあり、40代の夫妻が戸惑いながらも、自分たちも若い世代に合わせようと奮闘するところが滑稽だけれど笑えない(共感しすぎちゃって)。
単にライフスタイルが影響を受けるだけでなく、だんだんと若い夫妻の計算された計画に40代の夫妻が巻き込まれていく…というサスペンス的な要素が絡み合うストーリーテリングは圧巻だと感じました!
30代、40代の、「自分はまだまだ若いんだ」と思っている人たちにはぜひぜひ観てほしい1本です。

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あらすじ

同世代の夫婦と自分たちの間にギャップを感じているジョシュとコーネリアの夫妻

まだ生まれたばかりの赤ちゃんを見つめるコーネリア。
昔話を聞かせるも、その話は夫のジョシュもうろ覚え。
昔話をすらすら話せずにまごまごしていると、ついに赤ん坊は泣きだした…。
赤ん坊は実は親友夫妻のマリーナの子で、コーネリアとジョシュの赤ん坊ではない。
赤ん坊の父親となったフレッチャーは左腕に赤ちゃんの超音波写真のタトゥーを入れたところだ。
出産のこと、わが子を授かったことを、幸せそうに、かつ誇らしげに話す夫妻。
だが、子どもを持つということについてピンとこないジョシュとコーネリアは、自宅に帰ったあと、出産の大変さのことなどを考えると、冷ややかな感じで「子どもなんていらない」、「僕らは自由でありさえすればいい」と話す。
子どもを産んで間もない夫妻を「彼らは1年以上もセックスレスよ…」と見下したように話すも、実は自分たちもそれに近い状況のようだ…。

一回り以上若い夫妻との出会い

ジョシュはドキュメンタリー映画を撮る映像作家だが、そのドキュメンタリーは8年経った今でも完成していない。
編集を担当しているティムにも「助成金が下りれば報酬は払うから…」としか言えないジョシュ…。

大学でも教鞭をとるジョシュだが、その講義はパワポの画像がちゃんと出ないなど、散々なものだ。
だが、講義が終わったところで、聴講していたジェイミーとダービーの夫妻が、ジョシュのファンだと話しかけてくる。

ジェイミーとダービーは、ジョシュ夫妻よりも一回り以上年下の20代半ば。
ファンだと言われ、気をよくしたジョシュとジェイミーは意気投合し、講義の後に近くの中華料理屋でコーネリアも交えて食事をすることにする。
ジョシュとジェイミーは自身が影響を受けた映像作品のことなどを話し、ジェイミーはジョシュと同様に映像作家を目指していること、その妻であるダービーはアイスクリームを作る職人だと、それぞれの身の上話が始まる。
コーネリアは著名な映像監督の娘で、ジョシュはかつて監督の助手を務めていたが、いまは独力で映像作品を作ろうとしていることなどを話すと、ジェイミーは興味津々のようだ。
お勘定を「ここは僕が!」というジョシュに、遠慮もせずに軽く「ありがと!」というジェイミーとダービー。
彼らにジョシュは少しジェネレーションギャップのような違和感を覚えながらも、エネルギッシュで若さに満ちた夫婦に魅力を感じるのだった。

ジェイミーの最近の作品を見るために彼らの部屋へ赴くジョシュとコーネリア夫妻。
ジェイミーは壁一面にズラリとならんだレコードと、オールドファッションなアンプセットという趣味を持っているらしい。

ジェイミーとダービーの住むアパートメントには、なんと下着姿で部屋を歩く女の子のティッパーというルームメイトがいる。
20代のジェイミーとダービーは、デスクもDIYで作ったりするほか、「あれなんだったけ…?」と名前が思い出せないものをすぐにweb検索することも「そんなの簡単すぎる」と拒否し、どうしても思い出せなくても「そのままにしよう」と提案する。
ジェイミーとダービーの夫妻は、ネット上でつながるFacebookに嫌悪感をもち、音楽はレコード、原稿はタイプライターで、映画を観るときはVHS、本も昔ながらのペーパーバック、エクササイズもストリートバスケ、ゲームもボードゲーム…と、アナログな生活を送ることに喜びを感じているようだった。
だが、ジェイミーはFacebookを最低限利用はしているようで、登録されている住所から本当にその友達に会いに行くようにする、というのがジェイミーの信条なのだという。
反対に、40代のジョシュとコーネリアは、映画はネットのVOD、音楽はCD、エクササイズはジムで、ニュースを読むのもゲームもスマホやタブレットで済ませているというのが現実だ。
自分たちと全く違う生活を送りながらも、刺激的で楽しそうな生活を送るジェイミーとダービーに、ジョシュもコーネリアも影響を受け始めていた…。

マリーナとフレッチャー夫妻に会ったジョシュとコーネリアは、20代の夫妻との出会いと交流が刺激的だということを話すが、最近子どもが産まれたばかりのマリーナとフレッチャーは、ジョシュたちの話についていけず戸惑った雰囲気に。
親友夫妻とは違って、若い世代と交流があり自由に出歩くことができる…とジョシュとコーネリアは心なしか優越感に浸っているようだ。

どの世代に属すべきなのか…模索するジョシュとコーネリア

コーネリアは、赤ちゃん連れのマリーナとたまたま会い、ベビー連れの音楽教室に成り行きで一緒に行くことになる。
しかし、音楽教室の雰囲気に耐えられなくなりコーネリアは教室を出る。

代わりにダービーと一緒にヒップホップダンス教室に行くと、自らを解放させるコーネリア。
ジョシュもコーネリアも、それぞれジェイミーとダービーとつるむことで、若さを取り戻しているかのようだ。
ジェイミーとジョシュはロードバイクに乗ってサイクリングをともに楽しむが、その途中でジョシュは肉離れを起こしてしまう。
クリニックで受診すると、膝も関節炎になっていることが分かり、かつ、処方箋を見る自分が老眼になっていることにも気づく。
ジョシュは44歳を迎え、自身が老いはじめているという現実を突きつけられるのだった…。

ジョシュがジェイミーと街角のレストランで食事をしていると、コーネリアの父に会う。
ジョシュとコーネリアの父はどうやらあまり仲が良くないらしい。
ジェイミーはコーネリアの父で大物監督であるブライトバートに挨拶をし、彼の作品が自分の人生を変えたと感謝の言葉を述べる。
ブライトバートは、ジョシュに融資してもらえそうなファンドの紹介を持ち掛けるのだが、それを断るジョシュ。
ジェイミーはジョシュに自分の作品の共同監督を持ちかけるが、ジョシュはそれについても断る。
そしてジェイミーとの食事代は、今回もやっぱりジョシュが持つことに…。
レストランで「自分はトイレに行くから…」とジョシュとは一緒に店を出なかったジェイミーは、ジョシュが店を出たことを確認すると、ブライトバート監督の席へ行くのだった…。

マリーナ夫妻からコネチカットの別荘で楽しく過ごさないかという誘いがくるが、ジェイミーたちに誘われたアヤワスカの儀式で行くことができないとジョシュとコーネリアは誘いを断る。
親友夫妻も、今まで仲のよかったジョシュとコーネリアが、自分たちとは全く違う物事に興味を持ち、よくわからない行事などに参加していることに違和感を持ちはじめている…。

週末、ジェイミーとダービーとともに、ジョシュとコーネリアはアヤワスカの儀式に臨む。
呪術師がきて、みんなが白い服を着、ペルーの植物で作った液体を飲んで、幻覚を起こして悪夢を吐き出すというのがその儀式だった。

幻覚を見てハイになり意識がもうろうとしている中、コーネリアはジェイミーとキスをしてしまう。
一方で、ハイになったジョシュはジェイミーに、自分のクレジットも何もいらないから、彼の映画製作を手伝うと伝える。
ジョシュはコーネリアに子どもを作ろうと持ちかけるが、2度も流産してしまっている彼女はもうチャンスを逃してしまったと言い、それについては後悔していないと言い切るのだった…。

ジェイミーのドキュメンタリー作品の製作開始

Facebookでつながったという高校時代の同級生ケントを尋ねるところをドキュメンタリーとして撮影するプロジェクトを始めたジェイミー。
その撮影は、映画製作を手伝うと申し出たジョシュが担当することになった。

自宅を尋ねるも、ケントは留守だと告げられ、ケントの家族と微妙な雰囲気に…。
家族に聞いた場所へと向かうと、そこは精神病院だった。
高校時代に人気者だった友人ケントは、リストカットをしていたのだ。
ジェイミーは高校時代を思い出し、母親はガンで死の床についており、自分は誰も愛せずにいたことを語る。
そして、友人であったケントは体育会系でも、美しい詩を書く男だった…と。
その後、ケントのことを検索してみたところ、彼はアフガンに従軍しており、ワナット村の虐殺では民間人で満員のバスを銃撃、そのことを公表し戦闘を拒否、拘置されたのち前線に復帰してから、名誉戦傷章を受章していた。
ジェイミーの企画は、まさかの大きいものに化けたのだ…。

ある夜、ジョシュとコーネリアがマリーナ夫妻のパーティに顔を出すが、ジョシュとコーネリアは招待されていなかった…。
子どもを産んだマリーナと産めなかったコーネリア…2組の夫婦の間には「理解できない」という雰囲気に満ちたギャップができはじめており、彼らが互いに疎遠になりつつあるのは明らかだった。

順調なジェイミーと、まったく進歩がないジョシュ

ジョシュ自身の企画は8年間を費やしてもとん挫したままなのに、ジェイミーの企画は順調に進んでいるようだ。
ジョシュも製作を進めようとファンドに映画の説明をしにいくも、担当者は全く興味を示さず失礼な態度をとるだけ。

そこで、ジョシュは意を決して、コーネリアの父に作品を見せにいく。
6時間半というのはあまりにも長すぎるし退屈する、という義父の正直な意見であり助言を、自分への当てつけとして批判をしていると思うジョシュ。
そしてその批判は、自分たち夫妻が子どもを持たないからだと考えている。
結局、けんか別れとなる2人。

それとは反対にジェイミーの作品はカタチになろうとしていた。
彼の作品の試写には多くの人が訪れ、コーネリアの父のブライトバート監督も来ていた。
その作品は、なんとブライトバート監督からも評価されているという(ジョシュの知らないところで、ジェイミーとブライトバート監督はやりとりをしていたのだ…)。
そして、ファンドでジョシュに失礼な態度を取った男も、ジェイミーにはベタぼれのようだ。
さらにアフガニスタンにも行くことが決まり、タイムズ紙の記者が取材に来るほどになっているジェイミー。

ジョシュは妻に対してもひどい言葉を浴びせるほどに追いつめられてしまっている…。

ジョシュが試写会場から外に出たとき、ダービーがジェイミー以外の男とキスをしているところに鉢合わせてしまった。
その流れでダービーと飲みに行くと、ダービーは「ジェイミーは自分が大好き人間で…」と、夫のことについて仕方ないのだという風に語る。
撮影時に高校時代に母が死の床に…というくだりも、実はダービーの高校時代の話を自分のことのように話していたということを知ることになったジョシュ。
ダービーはジョシュにキスをし「ダメだよ…」とジョシュがそれを止めると、ジェイミーとコーネリアがアヤワスカでキスしていたことを聞かされる…。
ショックを受けたジョシュは朝までクラブで踊り、家には帰らなかった。

翌朝、ジェイミーはカフェにコーネリアを呼び出した。
ジョシュが昨晩帰ってこなかったことを涙ながらに打ち明けるコーネリアだが、慰めの言葉はそこそこに、ジェイミーはブライトバート監督にも作品に参加してもらえないかと、コーネリアに頼んでもらうように持ち掛ける。
その話の流れから、そもそも講義でジェイミーがジョシュに近づいたのは、ジョシュの妻がコーネリアで、コーネリアの父が大物監督だということを知っていてのことだったということに気づく。
さらに、ジェイミーがアヤワスカの儀式のときにコーネリアがキスをしたことを暗に脅しに使うようなことも臭わせはじめた…。
ジェイミーは実は大嘘つきだったのだ…。
ジェイミーとコーネリアが話すカフェの外にジョシュが現れる。
ジェイミーはジョシュを陥れるために動いている人間で大ウソつきだとジョシュはコーネリアに話すが、「ジョシュは映画を完成させることができない監督で、何も作っていない。嘘つきでも作品を作っているジェイミーはまだマシだ」とコーネリアは言い放つ。
ジョシュはジェイミーに「子どもを作ろう」と再度持ちかけるが、流産を2回繰り返し、さまざまな治療も行ってきたコーネリアは、今さら妊娠・出産を経験するなんて無理だし、無理じゃないとしてもまたあんなことをするのは絶対にイヤだ、とこの件については議論することすらしない、ときっぱりとジョシュに告げた。

自宅には帰ることができず、仕方なくマリーナ夫妻の家にやってきたジョシュを、マリーナの夫フレッチャーはあたたかく迎え入れた。
マリーナは不在で、フレッチャーが1人で授乳などの赤ん坊の世話をしている。
そこで、ジョシュは育児に実はのめりこめないというフレッチャーの本音を聞くことになる。
時間が経つにつれ、子どもはいらないなと思うようになったと語るフレッチャー。
生まれる前は「子育ては天国」と言われるが、生まれた後は「そのうち慣れる」と言われ…どういうことなんだと困惑したというフレッチャーは、結局子どもが産まれることで価値観が変わったわけではなく、やっぱり「子どもはかわいいが、人生では自分が一番だよ」と打ち明ける。

互いに、椎間板ヘルニアになったこと、膝が関節炎になったことを、苦笑いしながら2人は語り合うのだった。

ジョシュも行動に出る

編集のティムに、自分の作品の編集をまた2週間ほど手伝ってほしいと伝えるジョシュ。
ティムはジョシュの紹介から、ジェイミーの作品にも参加することが決まったようだ。
ティムの未払いの報酬を払うため、CDやほかのものをすべて売ったというジョシュ。
義父の意見を聞き、作品の一部を削るというのはどうかと持ち掛けたところ、ティムもそれはいいアイデアだと言う。
彼が機材を開けると、そこにはジェイミーの製作中の作品があった。
ケントのインタビューシーンなのだが、それを見てジョシュはとあることに気づく。
ケントの傍らに、ダービーのアイスクリームのパッケージがあるのだ。
ダービーはジェイミーとはうまくいってないように話していたが、実はそれも演技で、ダービーはジェイミーの企画にどっぷり加担し、ケントのところにはダービーが先に訪問していたのだった。
ジョシュは巧妙に2人にハメられていたのだ。
そしてティムもジェイミーについては、ジョシュの友人とはいえイヤなヤツだと思っているのだった。

ジョシュはケントのところに事実確認をしにいく。
Facebookでケントに連絡を取ったのもジェイミーから。
そして、ケントはジェイミーの同級生ではなく、ダービーの友人だった。
ケントのところに撮影に行く1週間前に、先にジェイミーはケントに連絡。
自分はインタビュアーだけれど演技もすると伝えていた。

つまり、純粋なドキュメンタリーではなく、やらせだったのだ…!

ジェイミーがやらせドキュメンタリーを製作していたことを知り、ジョシュはすぐにジェイミーの自宅へ押しかける。
だた、ジェイミーは不在で、ダービーだけがそこにいた。
ジョシュはジェイミーが事実を捻じ曲げてドキュメンタリーを製作していることをダービーに告げるが、ダービーは「ジェイミーには悪気はないのよ。あなたが純粋主義だから…」と自分も計画に加担していたことを打ち明けるのだった。

そもそもケントのアフガンでの体験ありきで、ドキュメンタリーの製作は進行していたのだ。
ジョシュはその作り方が観客に対しても不実だし、詐欺だと言う。
とにかくジェイミーの居場所はどこかとダービーに問い詰めると、ジェイミーはジョシュの義父であるブライトバート監督の祝賀会に行ったという…。
祝賀会のことをすっかり忘れていたジョシュは、ダービーの申し出から、ジェイミーの服とローラーブレードを借り、パーティ会場へ急ぐことにした。
去り際にダービーは語る。
「いつもジェイミーと話してたのよ。どう老いるか…。出た答えは“人並み”よ…」
ローラーブレードで街を走り、そのまま地下鉄に乗って、パーティ会場へと急ぐジョシュ…。

ジョシュはジェイミーの悪事を暴くのだが…?

ブライトバート監督の祝賀会。
そこにはジェイミーの姿もあった。
1人になったジェイミーにジョシュは詰め寄り、事実をでっちあげたことについて問い詰める。
悪びれる様子もないジェイミーに、ジョシュは間違っていると伝える。
「若者はなんでもありか?なんでも手に入るか?違うだろ」とジョシュが言っても、ジェイミーは「全てのものはみんなのものだ。歌も物語も好きに使える」と持論を展開。
だが、それは盗作だと訴えるジョシュに対し、そんなのは老人の妄言だというジェイミー。

ジョシュは監督とコーネリアを守りたい、だからジェイミーには正直に今回の作品がやらせであることを伝えてほしいと頼むと、ジェイミーは「いいよ」とブライトバート監督とコーネリアがいる席で「自分の作品は事実と違う。時系列を変えた」とだけ話す。
それ以上を話そうとしないジェイミーに代わって、ケントはジェイミーの友達ではなくダービーの友達だったこと、ダービーの母親の死を自身の母親の死のように語ったこと、ケントの自殺未遂のこともジェイミーは知っていたことなどをジョシュが語る。
それを受けて「基本は同じだ。少し変えた」と悪びれもせずに言うジェイミー。
ジェイミーとケントの出会い方がデッチ上げで、それがドキュメンタリーとしてはあってはならないことだということを力説するジョシュだが、ケントがアフガンにいたことは事実であり、ジェイミーがやった演出は些細なことだと義父に言われてしまう。
コーネリアも「ジェイミーは最低な人間だが、作品は上出来よ…。ごめんなさい」とコメントする始末で、バカを見るジョシュ…。
「なぜ白黒つける?物事は変わる。世の習いだ…」と言う義父の言葉に、ジョシュは打ちのめされる。
「でも僕の立場は…?自分は騙されたんだ」とつぶやくジョシュに、追い打ちをかけるように「でも参加しただろ?」と勝ち誇った顔でジェイミーは言う。
「事実だと思ったからだよ!君が好きだった…。信じてたんだ…。“私って遊び?”って感じだよ…」と涙をこらえながら話すジョシュだが…その様子を、ジェイミーはなんと小型のカメラで卓上から撮影していたのだ…!
最後までイヤなヤツであることを証明するジェイミーに、もはや激怒する気力すらジョシュには残っていない…。

会場の外。
ジョシュのところに少しばかりの料理を持ってくるコーネリア。
ジョシュは尊敬してくれる弟子が欲しかった。
だが今、ジェイミーとの一件から「大人になりきれない子ども」をやっとやめることができたと悟り、一生でできることは限られているということに気づく。
コーネリアの「もう一度あなたと出会ってやり直したいと思う」という言葉を聞き、「もう毎日が充実なんて、悲しいけれど無理だ。でも、僕には君がいる。もし違う人間になれたら、もう一度結婚の誓いをするよ…」とジョシュは返す。
「でも、もうすでに僕たちは違う人間かもね」と2人は微笑みながら、パーティ会場の外のベンチで、料理をつまみながらウイスキーをラッパ飲みするのだった…。

1年後、マリーナとフレッチャー夫妻に車で送ってもらい、空港にやってきたジョシュとコーネリア。
2人はハイチからの子ども養子に取ることを決意し、ハイチに向かうところなのだ。
マリーナとフレッチャー夫妻との仲も元通りになっている様子。
空港で見かけた雑誌には、ジェイミーがフィーチャーされていて「世に出たのね…。悪魔は放たれた…」とほほ笑みながら話すコーネリアに対し、ジョシュは軽く「いや、彼は悪魔じゃない。ただ若いだけだよ」と諭すと、2人はキスをして笑い合うのだった…。

2人がふと向かいに目をやると、1歳ぐらいでまだしゃべることもままならないような赤ちゃんがベンチに座り、スマホでメールをし、写真を撮り、通話をする真似事をしているところを目にする。
その様子を見て、「これはマズい…」という風にジョシュとコーネリアは眉をひそめるのだった…。

まとめ・感想

自他ともに認められる「若い」部類だった高校生や大学生の時代には、40代以上の口うるさい人には「年寄ってるだけなのに知ったかぶりしてるし、ウザイ…」と思っていたけれど、もはや自分が「若い」とは言えなくなってしまったここ数年は、どちらかというと「ゆとり世代」をはじめとする、ちょっとダメダメな行動や思考回路を持っている若者たちに対して「最近の若いもんはなっとらん…」と思うようになってしまいました…。
でも、自分はいつまででも若いつもりでいるわけで、40歳になっても20代の大学生時代のまま、良くも悪くも、精神年齢はそこでストップしてしまっているように感じています。
しかし…、少し前にショックを受けたことがありました…。
一回りぐらい年下の職場の後輩に「恋愛対象になる年齢って何歳まで?」って何気なく聞いたところ、「自分の3歳年上(私からすると10歳ほど年下の年齢ということになる)ぐらいまでっすかねー」とサラリと言われ、自分は彼らと同世代だと思って話していたけれど、それは単なる独りよがりだった…と気づいたことです…(苦笑)。
自分が彼らから恋愛対象として見られたかった、というわけでは全然ないのですが、一緒に食事をしたり、お酒を飲んだりして、ワイワイ楽しませてもらってはいたけれど、私は間違いなく「先輩」というよりは、「自分はまだまだ若いつもりの、ウザいオバハン」として認識されているんだな…と気づいて、恥ずかしい…というか、イタイ思いをしました(やっぱり年長者としてふさわしい行動をとらねば…と心に誓った)。

…と、そんな自身の実際年齢と精神年齢にギャップを感じることで、自由気ままに振舞うことができた若かりし頃への郷愁にも似た感情を持ち始める40代。
我が子の誕生や育児などで、同世代の友人たちがあらゆる責任にがんじがらめになるなか、子どもを持たない(もしくは持てない)夫婦は、境遇の違う夫婦や家族と乖離を感じて、自身がどこに属したらいいのかわからなくなる「迷子」状態となってしまう大人たちを絶妙なタッチで描いたのが本作です。

今年で40歳になった私は、この映画の主人公となるジョシュとコーネリアの夫婦の開き直りや、20代の若くて気ままな夫婦たちと同じ世界に属そうと少々無理しながら奮闘する姿を見て、激しく同意してしまいます。
子どもができることや年齢を重ねることでつきまとう「老い」から生じる「自由のはく奪」から逃れたいという願望が、なぜか若さへの羨望に取って代わり、自分たちが直面している「現実逃避」へと変わっていく様は、この作品を客観的に観ていると、あまりにも滑稽で、笑ってしまうほど…。
でも、自分自身はどうなの?それって本当に笑えるの…?

私自身も出産をし、子どもを育てることが日々の…いや人生の最大のミッションとなってしまっているものの、自分の感情としては「自由を謳歌している」と考えているジョシュやコーネリア夫妻に近いんです。
子どもを持つことを美化したり、自慢したり…、さらに子どもを持たない選択をしている友人に、子どもを持つことをほぼ押し付けのように勧める劇中のマリーナとフレッチャー夫婦に対して、非常に嫌悪感を覚えましたし…。
しかしながら、子どもを持つ親となってしまってからは、育児を必要としていない夫婦に対して、やっかみに似た感情を抱いてしまうことがあるのも事実です。
でも、やっかんだところで、もう後戻りをすることはできず、20代の自由気ままな生活を謳歌することはできなくなっています。
子育てを言い訳にはしたくありませんが、老後資金の心配をし、自身の子どもの教育費の工面のことが常に頭をかすめ、若かりし頃にもっと貯金のことを考えておけばよかった…と頭を抱えることもしばしば…。
子どもを持つことは自身の選択であり、後悔はしていませんが、「子どもがいなければ、もっと旅行にも行けてたかもな…」とか、「子どもさえいなかったら、誰に気兼ねもなく飲みに出られたのに…」というような「たら・れば」論は常に自分の中で頭をもたげます。
ただ、これらの感情は、自身が消化して、納得するしかない話。
この映画の終盤でジョシュがはたと気づく「一生のうちにできることは限られている」ということに、観客である自分も認識させてくれる本作は偉大(本来なら、この映画を観る前に気づいておけよ…と思いますが…汗)!
限られた時間(人生)のなかで、どのような選択をし、日々をどう過ごすか、ということを徐々にでも受け入れていくことが、40代という人生の折り返し地点に差し掛かっている人間にとって、大事なことなんだと感じました。
終盤に差し掛かる前に、ウソつきで策略家でもあるジェイミーの妻ダービーが、「夫婦でどんな風に老いたいか」ということを考えたとき「人並み」という答えに行き着いたということも、非常に真理をついていて、ドキっとさせられます…。
野心家のジェイミーでさえも、「リッチな老後」を思い描いているわけではなく、「人並みが一番だ」と考えているわけです。

多くの共感と教訓が得られる本作ですが、単なる群像劇や人間ドラマとして終始描かれるわけではなく、途中でジョシュがジェイミーの嘘を暴いていくところが、上質なサスペンスのようにストーリーテリングされるところも非常に面白かった!
ジョシュとジェイミーのサスペンス劇場が繰り広げられる間、観客はジョシュを応援し、ジェイミーに一泡吹かせて、ジョシュが「完全なる善」として周囲から認められる結末を信じて見守ります。
ところが、カタルシスが得られることは皆無という驚きの結果に…(驚)。
ジェイミーの策略や嘘は「必要なこと」だと認識されており、ジョシュの妻のコーネリアでさえジェイミーには肯定的な意見を持っていたのです…。
それは、少なくとも「良い作品を作ったから」という結果論でした。
ここが本作の本当のエンディングの始まりにもなるわけですが、ジョシュは道徳的に激怒して憤死するのではないか…と思ったらそうではない。
完全にノックアウトされて挫折感を味わい、立ち直れなくなるのか…というと、これまたそうでもない。
結局はジョシュも「物事に白黒つける」ことをあきらめ、「大人になりきれない子ども」をやめることで、本当の成長を遂げることを選択するわけですね。
さらに、その決断から、自身の人生の結末を「良いものにする」という、究極の結果をめざして、今後は一生懸命に努力するのであろう…と、ジョシュが踏み出した一歩でようやくカタルシスをえられると同時に、彼らの人生を祝福したいと思わせるほどの期待がもてるラストとなりました。

さて、私自身もジョシュとコーネリアを見習って「大人になりきれない子ども」をそろそろやめないと…。
本来ならとっくにやめてないといけないと思うけれど…、一歩どころか、二歩、三歩、子どもからの脱却のために踏み出さなければ…(苦笑)。

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